「居場所」について考える:研修振り返り①ーアトリエ・ポレポレの活動からー
2022年 02月 15日
2021年度は11月には虐待防止、2月には個人情報保護に関して、
オンラインで研修を実施しました。
オンラインで研修を実施しました。
昨年度の終わり頃に、「『居場所』について考える」という研修を行ったのですが、
その振り返りをするとお伝えしながら、すっかり遅くなってしまい申し訳ありません。
研修に至る経緯や概要に関しては、上の記事を参照していただければと思いますが、
記事を3回に分けて、研修の振り返りをしていきたいと思います。
最初に取り上げた「アトリエ・ポレポレ」では、
代表のサイモン順子さんにお話をお聞きしました。
知人の方から話を聞いたことがきっかけで訪れた
西多摩にある施設で障害のある方に会った時に衝撃を受け、
「こういう人たちと付き合っていきたいと思った」というサイモンさん。
結果的に美術を「教える」という立場で関わることになったが、
参加者の方の姿を見ていると、実際は「教わる」ことばかりで、
その方自身が自分を表現できるような環境を整えるということに意識が向いたそうです。
紆余曲折がありつつも、展覧会などを行う中で生まれた出会いが縁となって、
1995年のアトリエ・ポレポレの立ち上げにつながっていきました。
ポレポレは絵を描きたいという方なら、誰でも参加できる場所。
有給を取得して通う社会人の方や就学前のお子さん、大学生なども含め、
様々な方が通ってきました。
有給を取得して通う社会人の方や就学前のお子さん、大学生なども含め、
様々な方が通ってきました。
ただ、活動を始めるきっかけとなった障害のある方のことを想像したときに、
中には身辺処理など、プライベートな部分でも常に他者の目にさらされる場合もあり、
本当に自分を出せる時間は、ごくわずかしかないのではないか。
だからこそ、ポレポレの時間だけは、「あなたでいて」という思いがあること。
人を傷つけない、といった最小限のルールはあるが、
それでなければ、このポレポレという場では何をしてもよいし
少しでも自分を開放できる時間があるということが大切ではないか、という話がありました。
サイモンさんは「雑草の美しさ」という言葉を用いていましたが、
展覧会などでポレポレの作品を見ていただけると、評価どうこうは関係なく、
ひとりひとりの作品がばらばらで、個性の違いがよく表れています。
ポレポレが「自分が自分でいる」ことを保障されている場所、
その人の個性を安心して発揮できる場所になっているからこそ、
そのことが作品として現れているのではないかと、
サイモンさんのお話を聞く中で改めて考えました。
メンバー同士は、一緒にいるときには気にかけていないようだけど、
いないときには相手のことを言葉にして気にかけ、
作品の中にそんな面が表れることもあります。
他者から尊重されているという空気が流れているということも、
職員のみなさんからの感想の一部を紹介します。
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・アトリエ・ポレポレの活動で印象に残ったことは、みんなが自然に集まる場所、自分らしく自分を表現する場所ということです。本当の自分を出せる場、居場所がある、落ち着くことのできる場所があるという安心感。この安心感は、とても大切で必要なものだと思いました。
・好きなことややりたいことがあると、自分の力を出せたり、自分を好きになることができたり、幸せを感じられることが多いけれど、信頼できる大好きな人や仲間がいて、安心できる場所があることで相乗効果が起こり、本当に身体の外に表現したいものが出せたり、本来持っている力を引き出せ、その場に居合わせることができた人たちは、きっと言葉がなくても同じような気持ちを共有することができるのだろうな、と感じました。
・成果物を評価するだけではなく、描き方、作品への取り組み方を寄り添いながら理解し、認める、素晴らしい活動だと思った。
・形にはまらない所が印象に残りました。アトリエでは個性を大事にしていて、対象者だけでなく、保護者の方も笑顔があふれていてよかったです。
・アトリエ・ポレポレの代表の方が、「ここには正解がない」と話していました。本当に、「〇〇しなきゃいけない」ではなく、ひとりひとりを認め、自由な表現の中にも、人々のつながりが感じられました。何より、ひとりひとりの笑顔が素敵でした。
・「失敗はない」という言葉が印象に残りました。自分でどう表現するか、どうとらえるかにより、成功も失敗もないのだなと感じ、○か×かで考えすぎてしまうのもよくないし、人に押し付けて考えるのもよくないと考えました。
・公共のルールを守ることや、身体を安全に保つことは前提だが、私自身のものさしが片寄っていないのか、疑い続ける。わかったつもりにならないように気を付けたい。
・「失敗はない」という言葉が印象に残りました。自分でどう表現するか、どうとらえるかにより、成功も失敗もないのだなと感じ、○か×かで考えすぎてしまうのもよくないし、人に押し付けて考えるのもよくないと考えました。
・公共のルールを守ることや、身体を安全に保つことは前提だが、私自身のものさしが片寄っていないのか、疑い続ける。わかったつもりにならないように気を付けたい。
・その場にいる人(関わる人)が、どんな形でも心地よく、それぞれの心の癒しになること、安心して自分をさらけ出したり夢中で何かに打ち込める環境や空間づくりがとても大切であると感じた。
・個性豊かに自分の心の中を作品を通して表現する、ポレポレの利用者さんの表情が素敵でした。クレヨン、サインペン、絵の具、はさみ等、画材はたくさんあるけれど、その中で迷いも下書きもなく、自分を表現できる姿が本当に素敵で、うらやましくも感じました。そして、自分を表現していい、そのままの自分でいいと思える居場所を支えているサイモンさんの心に感銘を受けました。
・こうしよう、あれしようと「力」を入れずに、ありのままを認めたいと思いました。自分も他の方々も皆、それぞれ個を大切にしながら。
・こうしよう、あれしようと「力」を入れずに、ありのままを認めたいと思いました。自分も他の方々も皆、それぞれ個を大切にしながら。
・自分の気持ちをぶつけられる場、また来たいなという気持ちになれる、お互いが違うということを認め合えるような場をつくっていけるように、迷っていたり、困っていたりしてる時に声掛けをして、その気持ちが引き出せるように寄り添うことができたら、と思いました。
・子どもたちの活動についアドバイスをしてしまうことがあるが、そっと見守りながら自由にやらせてみること。その理由は、口を出されることは人によって、否定されたと捉えてしまい、ありのままの自分を表現することができなくなってしまうかもしれない。やはり居場所は、自分が出せる、認めてもらえる場所であることが大切なので、ひとりひとりが自由に表現できるようにサポートしたいと思う。
・以前のにじのこはポレポレに近い雰囲気だったと思うが、支援計画がはっきりと打ち出されてからは、もちろんよい面もあるが、枠組みがはっきりしてきたことで、「その境界を楽しむ」という余裕が少なくなったような気がした。自分で成長できる力を信じて、のびのびと過ごし、自己決定しながら、持ち味を発揮できる場を提供していきたい。
・サイモンさんを始め、ポレポレのスタッフの方々が楽しそうだったこと。寄り添い、時にフォローし一緒に楽しんでいるように感じました。つい忘れがちになる、最初ににじのこに関わりたいと感じた時の気持ちを持ち続けたいと思いました。私も子どもたちの言葉ではない声を受け止められるように、関わっていきたいと思いました。
・サイモンさんを始め、ポレポレのスタッフの方々が楽しそうだったこと。寄り添い、時にフォローし一緒に楽しんでいるように感じました。つい忘れがちになる、最初ににじのこに関わりたいと感じた時の気持ちを持ち続けたいと思いました。私も子どもたちの言葉ではない声を受け止められるように、関わっていきたいと思いました。
職員のみなさんから出た多様な感想に対する、サイモンさんからのコメントを掲載します。
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にじのこでの内部研修に関わることが出来たこと、又、参加して下さった方々からの貴重なコメント、心から感謝いたします。
誰にでも、お気に入りの場所があると思います。逆にどうもしっくりしない、落ち着かない場というものも。人が集まれば何らかの雰囲気が出来ます。しかも集まる理由によって、自ずから違ってきます。
アトリエ・ポレポレは、一応絵を描きに集まっているのですが‐‐‐私は一切、指導らしきことはしていません。テーブル、椅子、画材等が整う頃、ボチボチとメンバーが入って来る。持参したCDをかける。クラシック、ジャズ、演歌、アニメの主題歌等はなしで、民族音楽、いわゆるエスニックなものか、ロック等。ポレポレが東中野で開かれていた時は、「何、これ?!」‐‐‐アフリカのドラムや地を踏むリズムに、筆に絵具をたっぷり付け、踊るように絵にして行く人が何人もいた。しかしここ数年、古参のメンバーHさんが音響係‐‐‐彼の選曲によるクリスタルキング、もんたよしのり、中山ラビ、たまにはクイーンばかりが部屋のBGMになっている。「いつもこれ~?」とクレームが来たこともあるが‐‐‐今は私がCDを持って来るのを忘れると「えっ、だめだよ」。
音楽、自然の音も含めて、居場所づくりに不思議な役割をしている。十年以上前のことだったと思うが、世田谷にある中高年層の男性の施設での絵を描くワークショップを頼まれました。いわゆる路上生活者だった人が多く、アルコール中毒や刑期を終えても行き場のない人等々、当日10数人の人が部屋で待っていてくれましたが、絵を描くという雰囲気はどこにもありません。後で話してくれたのですが、作業で受け取る工賃+上乗せがもらえるというので来たということだったのです。なんとも異様な雰囲気、絵を描いてくれるのだろうか。前日、もしかすると、と袋に入れた一枚のCDを少しずつ、音量を上げながらかけました。なんとなくやわらかな空気が流れ始め、画板の画用紙の上を鉛筆、色鉛筆、クレヨンが‐‐‐戸惑いながらも動いているのです。私は無言で、ただ歩きまわりました。「うまくねえな」とか、「田舎ってこんなだったかな」とか‐‐‐10分前までの表情とはまるで変わっていました。その切っ掛けは、ウォン・ウィンツァンによるピアノ「童謡」(曲集Vol.1)だったのです。
長くなりましたが、今回特にヘルパーさん達のコメントがとてもうれしかったです。ポレポレにも、車椅子のメンバーがヘルパーさんと来る人が、4、5人います。出入り自由なので、一律には言えないのですが、体調により30分ほどで帰る人、たっぷり4時間以上がんばる人、様々です。ヘルパーさんも様々で、最近は皆さん、メンバーの横に座を取り、身支度や一部の人の食事の世話、そして画材の調達(これが大変! 意思疎通の難しい人にはテーブルに色々な色のチューブを並べ選んでもらう)、そして気長にやさしく筆を持つよう誘導する。又、Yさんは聴き取りにくいのですが、しっかりと自分の意見を言い、ほかのメンバーとの会話や私とも冗談を言い合うのです。そのYさんは、私に大切なことを気付かせてくれました。それは、彼とヘルパーさんとの会話です。自分よりはるかに年下だろうヘルパーさんに、決して粗末な言葉遣いをしないということです。Yさんのヘルパーさんだけでなく、皆さんと打ち解けて、一緒に楽しんでいるように見えるのですが、私の思い違いでしょうか。
にじのこの皆さん、ぜひポレポレにいらして下さい。私もそちらに伺いたいと心から思います。もちろん、例のモノが終息したらのことになるでしょうが‐‐‐。
サイモン順子
ポレポレは一時期お休みをしましたが、
感染対策を取りながらできる限り休まずに活動しています。
コロナ禍になってから参加する機会が増えた人もおり、
近所に住んでいる子が急に来るということもありました。
グループホームなどに住まわれている方の中には、
感染予防で休日の活動に制限が出る場合もあるようですが、
「落ち着いたら来たい」という声が届いています。
仮に久しぶりだったとしても、何事もなかったかのように安心して絵を描くことができ、
何事もなかったかのように帰って行けるような場所。
それがアトリエ・ポレポレです。
活動に関しては、ブログも参照していただけるとうれしいです。
活動に関しては、ブログも参照していただけるとうれしいです。
研修が終わってしばらくした頃に、
サイモンさんから山形で開催された展覧会の記録集を見せていただいたのですが、
その中にサイモンさんがこんな言葉を寄せていました。
寄り添う、簡単なようで、なかなか歩調を合わせること、呼吸を合わせることは難しい。
(やまがたアートサポートセンターら・ら・ら『きざしとまなざし 2018-2020』(やまがたアートサポートセンターら・ら・ら, 2021, p.12)
ホームページには、キャッチフレーズとして、
「共によりそい、歩いて行きたい」と掲げているにじのこ。
サイモンさんの言葉を噛みしめつつ、
今回の研修の内容を思い返しながら、日々の支援に臨んでいきたいと思います。
(研修振り返りの続きは上の記事を見てください。)
by niji-noko
| 2022-02-15 15:01
| にじのこ研修会